わが国では,戦後の経済成長にともなって急激に都市化が進行し,都市人口(DID人口)が全人口の約6割を占めるに至っている.また,この都市化のプロセスにおいて大量の人口が三大都市圏に流入し,東京圏,大阪圏,名古屋圏の都市人口が増大した.とりわけ,昭和70年までの東京圏での人口増加は極めて顕著であった.最近では,都市人口の増加と三大都市圏の人口増加は鎮静化しているが,80年代半ばになって再度東京圏への人口流入が増加のきざしを見せている.
戦後の著しい都市化の進展によって,様々な『都市問題』が引き起こされてきた.特に,東京圏においては,交通混雑,地価の高騰による劣悪な住宅事情,世界に類を見ない長い通勤時間などの過密の弊害が顕著である.これらの問題の解決策として人口と経済活動の地方分散化の促進が提唱されてきて久しいが,未だに大きな効果をあげるに至っていない.このことの大きな理由の一つは,伝統的な経済学では全ての経済活動が一地点で行われると仮定しており,都市規模の決定に関する理論的枠組みを提供することができなかったためであると思われる.分権的市場機構における都市規模分布の決定メカニズムについての理解が極めて不十分であったために,有効で,かつ,国民の理解を得ることのできる説得的な都市政策の立案が不可能であった.本稿の目的は,都市規模の決定に関する最近の理論的発展の主要なものを展望することにより,日本の都市政策を考えていく上での理論的な出発点を提供することである.もちろん,都市規模に関する研究は端緒についたばかりの段階であり,具体的な政策提言が可能になるためには今後の活発な研究が必要であることは言うまでもない.
都市政策も一種の経済政策であり,その経済学的分析は競争的均衡解の効率性に関する『厚生経済学の基本定理』の吟味から始まる.分権的市場機構のもとでは私的利益を追求する諸個人の間の調整は価格体系の動きによって行われる.厚生経済学の基本定理によれば,その結果として生じる資源配分はパレートの意味で(すなわち,ある一個人の満足を高めようとすれば,必ず他の誰かを犠牲にしなければならないという意味で)最適である.したがって,(1)効率的な資源配分だけが社会的な目的とされていて,(2)厚生経済学の基本定理が成立する条件が満たされていれば,政府による民間経済活動への介入は全く必要ない.
政府による公共政策が必要となり得るのは,定理の成立するための条件が満たされていない場合か,あるいはパレート最適が社会的な目的とは一致しない場合である.これらの場合を総称して「市場の失敗」と呼ぶことができる.都市における「市場の失敗」の典型的な例は,公害や混雑現象等によって代表される(技術的)外部経済・不経済である.たとえば,工場や商業地の近くの住宅に住んでいる人々は騒音,道路の混雑,空気汚染等の外部不経済を受ける可能性が高い.また,低層の住宅に住んでいる人は近くに高層住宅が建つと日照,通風等の悪化により悪い影響を受ける.さらに,交通の混雑も外部不経済の一例である.
一般に,公共政策の正当化のためにはなんらかの「市場の失敗」が存在することが必要であるが,都市規模に関する政策に関しても同じである.3) たとえば,地方分散化政策の強力な推進を正当化できるためには,分散化政策なしでは東京圏への『過大な』人口集中が起こることが論証できなければならない.つまり,分散化政策正当化のためには,人口の『過大な』集中をもたらすような『市場の失敗』が存在することがまず前提となる.最近の都市経済学の研究の進展によって,市場機構による都市規模の決定にはいくつかの重要なタイプの『市場の失敗』が存在することが明らかになってきた.都市規模に関する市場の失敗の分析のためには,まず,なぜ都市が形成されるのかの理解が欠かせない.本稿では,まず,都市の存在理由を解説し,その後で都市の存在理由にともなって発生する市場の失敗の分析を行う.
本稿の主要なメッセージは以下の二つである.まず第一に,現代都市の形成要因のもっとも重要なものである集積の経済は,企業間の取引と生産活動における規模の経済とを組み合わせることによって説明できる.つまり,規模の経済が存在しないときには企業間の取引は集積の経済をもたらさないが,規模の経済と組み合わされると集積の経済が発生する.さらに,企業間の取引が通常の市場的取引でありそれ自体は外部経済ではなくても,規模の経済と組み合わされると,企業の立地選択に関して外部経済が発生する.
第二に,集積の経済によって形成される都市は過大になる傾向がある.大ざっぱに言えば,その理由は以下の通りである.既存の都市の都市規模を小さくさせるには新しい都市を創らなければならない.ところが,多数の企業を同時に新しい都市に移動させるのは困難であるので,集積の利益を享受できるだけの規模の都市を新しく創ることは難しい.小規模な都市では集積の利益を享受することができず,たとえ既存の都市が過大であっても,新しい都市はそれらの都市に対抗できない.したがって,都市規模が過大であってもそのままに留まる傾向を持つ.
都市規模に関する分析は,都市政策の立案のために欠かせないのみならず,経済理論一般に対しても大きなインパクトを与えると思われる.伝統的なミクロ経済学において空間的側面が無視されてきたのは,規模の経済性が十分に考慮されてこなかったからである.規模の経済の存在しない世界では生産をどんなに小規模にしても生産の効率性は失われない.したがって,必要な全ての商品を各家計が自宅で生産することによって,生産の効率性を犠牲にすることなく生産物の輸送費用をゼロにすることができる.このようなモデルでは,空間的不均一性の起こり得る唯一の理由は,鉱山などにみられるように生産に必要な資源(鉱石)が空間的に不均等に分布していることであり,都市が形成されても鉱山町のような小都市のみである.
ところが,生産における規模の経済性が存在する場合には,企業間の交易の費用を節約するために企業の集中が起こるので,現代的な大都市が形成される可能性が出てくる.つまり,伝統的な新古典派経済学で捨象されていた規模の経済を導入することによって初めて,都市規模の分析が(あるいは,もっと一般的に空間経済の分析が)意味を持つようになるのである.都市規模の分析によって空間経済における規模の経済の重要な役割が理解できるようになったことは,経済理論一般にとっても大きな重要性を持つものと思われる.
1.はじめに
2.都市の存在理由
規模の経済
集積の経済(Mills and Hamilton)
規模の経済と企業間取引の組合せによる集積の経済
公共財
集積の不経済
3.規模の経済と企業間の交通・通信費用の組合せによる集積の経済の発生
相互に取引を行っている2企業の立地選択
企業の立地選択における外部経済
4.集積の経済と都市規模
4.1.モデル
4.2.最適都市規模:ヘンリー・ジョージ定理
4.3.市場都市規模
過大な市場都市規模
5.結び:都市政策への含意