日本の建設産業は、戦後急速に技術力を向上させ、国土建設のために多大な貢献をしてきた。また、国内総生産(GDP)の約20%を占める基幹産業でもある。しかし、不祥事が相次いだこともあって、建設産業に対するイメージは良好とは言い難い。建設産業がその規模と役割にふさわしいだけの国民の信頼を受けるようになるためには、今後の更なる努力が必要である。
建設産業の抱えている課題の最大のものは、真の競争のなかで生きていく道を確立することである。建設産業は他の産業に比較して規模の経済性が小さいので、企業数が多く、また、新規参入も容易である。このような産業では、基本的に競争が激しく、収益率が低い。しかし、逆に、競争の激しさ故に、談合やカルテルなどのような競争制限行為に走りがちである。公共工事における談合は、ある意味では競争の激しさの反映であるとも言える。
新規参入の困難な産業では、競争制限行為は企業に大きな超過利潤をもたらす。ところが、新規参入が容易な産業での競争制限行為は、企業数を増加させるだけであり、企業の収益率はあまり高くならないのが普通である。競争制限行為によって収益率が高くなれば、新しい企業が参入するからである。
しかし、競争制限行為が恒常化している業界では、非効率な企業が温存され、技術革新や合理化が遅れることが多い。また、受注企業が談合によって決められる場合には、談合における自社の立場を有利にするために、様々な営業活動や場合によっては贈賄行為などが行われることになる。
市場経済が有効に機能するための大前提は、価格と品質に関する競争が有効に機能することである。競争制限行為がなくならなければ、建設産業が市場経済において市民権を得ることはできない。価格競争をすると、たたき合いの入札になって、不良不適格業者の参入や不良工事が発生するといった議論を楯に、談合を正当化しようとすることが見受けられる。しかし、欧米諸国では談合の蔓延は見受けられないが、たたき合いの入札になっているわけではない。要は、競争入札のやり方を学べば、それなりに各企業が対応することになり、大きな混乱が起きるわけではない。たとえば、アメリカでの入札参加企業数は5社以下であることが多い。各社が真剣に見積もりをして、競争入札に参加するようになれば、落札できる確率が小さい工事については入札を見合わせるようになる。わが国で最近導入された競争入札では、多数の企業が予定価格を大幅に下回る価格で入札することが見受けられる。これは、まだ競争入札のやり方を学んでいない証拠であろう。
真の競争入札のために学ばなければならないことは多い。最近の経済理論の発展の重要な分野として競売理論(auction theory)やゲーム理論があるが、これらの理論的成果が実際の入札において用いられるようになってきている。アメリカでは昨年から今年にかけて電波帯域の利用権の競争入札が行われたが、一流の理論経済学者が入札の仕組みの設計や入札する企業の入札戦略の決定に関与しているのはその典型である。
真の競争を生かすためには、業界側も発注者側も様々なノウハウを蓄積しなければならない。わが国における過去の競争入札の導入は、このようなノウハウを蓄積することができず、失敗に終わってしまった。国際化に対応しなければならない現時点においては、このような失敗は許されない。
建設産業の抱える第二の課題は、国際的に通用するコスト・パフォーマンスの達成である。驚くべきことに、この10年の間に日本は世界に冠たる高賃金国になってしまった。それにもかかわらず、経常収支は黒字を続けており、しかも国民の実質生活水準はこの高賃金に対応する水準になっていない。その理由は、輸出産業の急速な生産性向上に対して、国内産業の生産性上昇が追いついていないことである。国内産業の典型であった建設業もその例外ではない。今では、建設業における技術者の給与水準は世界的に極めて高いものになっており、発展途上国の技術者のみならず、アメリカ等の欧米先進国の技術者を雇った方がコスト削減に寄与する事態になっている。
建設産業でも生産性向上努力を続けて、日本の高賃金技術者を雇ってもやっていけるだけの生産性を達成できなければ、日本の建設産業は日本経済の重荷になってしまう。最も恐れなければならない事態は、日本の建設産業が、農業の一部と同じような手厚い保護を必要とする産業になることである。建設産業が日本経済に占める比重は農業と比較にならないほど大きい。そのような産業を保護し続けていく体力が、高齢化が進む日本経済に残るとは考えられない。手遅れにならない時期に、有効な対策を講じる必要がある。
幸いなことに、今後しばらくの間は、日本の公共建設需要は堅調を維持するはずである。したがって、建設業界は円高の洗礼を受けている他の業界よりはるかに有利な立場にある。この優位性が存在している間に、スリムで生産性の高い産業に転換しなければ、その後の高齢化社会での苦難が目に見えている。関係者各位の真剣な努力が要請されるゆえんである。