1991年から2000年までに430兆円の公共投資を行うという公共投資基本計画が策定されたときには,その巨額さに驚いたものであった.実際にこれだけの公共投資が達成可能であるのかどうかを危ぶんだ向きも多かったと思う.ところが,この目標はいとも簡単に達成できそうであり,この額にさらに100兆円も上乗せしたいという声も出てきている.
21世紀前半に高齢化社会が到来すると,日本経済には巨額の社会資本投資をまかなうだけの余裕がなくなるので,その前に基本的な社会資本ストックを作り上げておく必要がある.私の不安は,430兆円(あるいはそれ以上)という巨額の資金を投入したにもかかわらず,それが社会的便益の低いプロジェクトにばらまかれ,高齢化社会が到来してみると本当に必要な社会資本はできあがっていないという事態になりはしないかということである.わが国の公共投資の決定システムでは,投資費用に見合うだけの社会的便益が存在するかどうかという議論は全くといってよい程なされない.現状のままでは,この不安が的中する可能性は非常に大きい.
国民の税金を無駄で非効率な公共投資にばらまくことをさせないためには,様々なチェック・メカニズムが必要である。このチェック・メカニズムとして最も基本的なものが費用便益分析である.これは,公共投資に関する費用と便益を計算して、その結果があまりに良くないものには投資しないというものである。
費用便益分析に関して、日本と欧米では大きな違いがある。日本では、費用便益分析が全く行われないことも多く,行われたとしてもその結果は政府内資料として非公開にされている。これに対して、欧米では,大規模な公共投資に関しては必ず費用便益分析を行って,その結果を国民に公表することが,法律によって義務づけられている.
たとえば,フランスの高速鉄道(TGV)については、各計画路線の費用と便益を計算し、内部収益率(フランス国鉄にとっての収益率と社会的便益を含めた社会的収益率の両方)を公表している。同様なことは,アメリカ,イギリス,ドイツなどにおいても行われている.日本では道路整備や整備新幹線の計画路線について費用便益分析が行われているようであるが,その結果は公開されていない.
欧米諸国では費用便益分析が義務づけられているが,その結果によって自動的に投資決定がなされるわけではない.たとえば,フランスのTGVでは、少数民族等への政治的配慮で社会的収益率の低いTGV大西洋路線建設が優先されたことがある。どの国でも公共投資が政治的な問題になることは避けられず,費用便益分析は政治的な意思決定のプロセスへの一つの重要なインプットとして用いられるに過ぎない.ただし,費用便益分析の結果は公表されるので,ミッテラン大統領が政治的理由でTGV大西洋路線の建設を優先したことをフランス国民は知っている。もしそれについて国民が不満ならば、次はミッテラン氏に投票しないことができる。日本では費用便益分析の結果が公表されていないので,国民は密室の中での政治家や官僚の行動を評価する手段をもたない.
費用便益分析は、それほど精度が高いものではなく、誤差は当然存在する.また,便益が費用に比べて大きくても,便益が一部の高所得者に遍在することもありうる.したがって,厳密に便益費用比の順番で投資を行うのが最善とはいえない。ただ、わが国のように,国民の税金を使うにもかかわらず費用便益分析結果を一切公表しないということは,公共当局が国民に対して負っている責任を果たしていないと言える.また,公共投資の意思決定の基本となるべきなのは,投資費用に見合った社会的便益が存在するかどうかである.それにもかかわらず,わが国ではこれに関する議論がほとんど行われてこなかったことが,我田引鉄や我田引空港などによる大きな歪みをもたらした原因になっている.費用便益分析を行いその結果を国民に問うことが,この種の無駄な投資を少なくするための第一歩である.