金本良嗣
分割民営化後のJR各社の業績は予想以上に順調で、今年にはJR東日本の総株数の半分の売却が行われることになった。売り出し予定株数二百万株のうち六十万株の入札が既に行われ、大方の予想を上回る価格で落札された。残りの百四十万株は一般投資家向けに三十八万円で売り出されている。
この価格が高すぎるか低すぎるかはともかく、今回の売り出しでJR東日本に初めて民間の株主が誕生し、総株式の半分を所有する事になる。残りの半分は未だに国の所有であるが、JR東日本は少なくとも半分は民間企業になると言える。
民間企業になっても、JRの事業計画や運賃は政府によってこと細かく規制されている。民間企業になったJRが株主と利用者の双方にとって良好なパフォーマンスを示すかどうかは、これらの規制が改善されるかどうかにかかっている。
分割民営化の後、JR各社が多大な経営努力を傾注し、合理化に成功した大きな理由は、これまでは運賃改訂の必要がなかったことである。これから運賃改訂が現実の問題になってくると、経営努力をしてもその分だけ運賃の上昇が抑制されるということが見えてくる。そうすると、経営合理化のインセンティブがなくなり、旧国鉄時代に戻ってしまう可能性がある。
JR各社は未だにかなりの余剰人員を抱えており、人員の削減や労働生産性の向上が必要である。現行の規制方式のもとでは真剣な労使交渉によって労働コストを抑えるインセンティブが欠如している。
経営努力のインセンティブを阻害しない規制方式を考えだすことが、各国の規制当局者の課題になっており、欧米では新しい規制方式が採用されるようになってきている。その典型例が、英国がブリティッシュ・テレコムを民営化した際に採用したプライス・キャップ規制である。
プライス・キャップ規制については後程議論するが、英国における規制方式の改革に関して興味深いのは、民営化して株式を売り出す時点をとらえて、新しい規制方式を導入したことである。株式を売却してしまった後での規制方式の変更は、株主に損失をもたらしたり、あるいは逆にタナボタの利益を与えてしまうことになる。したがって、売却後に規制方式を大きく変えることは困難になりがちである。英国で新しい規制方式を採用できたのは、民営化による株式の売却にタイミングを合わせたことによることが大きい。
残念ながら、わが国では、規制官庁の先見性の欠如と保守性から、規制方式の改革のための絶好のタイミングを逃してしまった。しかし、これからでも規制方式の改善は不可能ではない。もちろん、株式を購入した人々に不利になるような規制方式の変更は望ましくないし、しかも政治的に困難であるが、経営効率化を阻害しない規制方式に移行することは、株主と利用者の双方にとって利益をもたらすことになる。
現行の運賃規制方式の問題点
JR東日本の「株式売出届出目論見書」には、運賃規制に関する運輸省の考え方が記されている。それによれば、基本的には大手私鉄に対する現在の規制方式を踏襲するとのことである。大手私鉄の運賃規制に用いられているのは、レートベース方式に基づく総括原価主義であるが、この方式は費用削減やサービス改善のインセンティブを阻害するという大きな欠点を持っている。経営努力によって費用を削減しても、その分だけ運賃を下げさせられることになり、手元に利潤としては残らないからである。
もちろん、建前としては、効率的な経営をしたと想定したときの原価を算定することになっている。しかし、外部にいる者にとっては、実際にはどういう経営が効率的であるかを知ることはほとんど不可能である。また、日本の官僚がいかに優秀であるといっても、企業経営の経験の無い者が効率的な経営はどういうものであるのかについて深い認識を持っているとは考えられない。
大手私鉄については、横並びの比較に基づいて経営努力の査定を行っており、これが経営効率化に大きく貢献しているという意見もある。しかし、実際にどの程度の効果があるのかは、はなはだ疑問である。例えば、生産性努力の査定には、従業員一人当たりの列車走行キロや駅務員の配置数などを用いているが、これらのような客観化できる指標だけで経営努力が計測できると思うのはあまりにナイーブであろう。東京圏の私鉄がごく最近まで自動改札を導入しようとせず、JRが導入してから一斉に導入を始めたことを見ても、現状の横並び規制の有効性に疑問を持たざるを得ない。
百歩譲って、たとえ横並び査定が大手私鉄については効果があったとしても、JRについて有効であるとは考えられない。都市鉄道に特化している大手私鉄と、都市間幹線鉄道、都市内鉄道、地方交通線という性格の異なる3つの分野を抱えているJR各社とを横並びに比較することには意味がないからである。それでは、JR各社間の比較を行えばよいのではないかという意見があるかもしれないが、東京大都市圏を持つJR東日本と東海道新幹線に大きく依存するJR東海とを横並びに比較することは困難であるし、競争が激しい近畿圏の鉄道に収益を依存するJR西日本との比較も困難である。
大手私鉄の経営効率化努力に関しては、横並び査定よりは、関連事業の存在の方がより重要な役割を果たしていると思われる。
鉄道運賃については政府による規制が存在し、鉄道事業から大きな収益をあげることはできない。しかし、不動産事業などの関連事業については規制を受けていない。大手私鉄では不動産事業などの関連事業収入の比率が高く、大手15社平均で38%程度になっており、東急などのように60%を超えているケースもある。
規制を受けていない関連事業が存在していることは、鉄道事業に対しても効率化のインセンティブを与えている。鉄道事業を効率化して、運賃の上昇を抑えながら、サービスを向上させることができれば、他社の沿線と比べて自社の沿線の開発スピードが早くなり、不動産事業などの関連事業の収益性を高めることになる。したがって、鉄道事業に運賃規制がかかっていても、鉄道事業の経営努力は、関連事業の収益を増加させるという間接効果によって企業収益に寄与することになる。
大手私鉄の場合には関連事業の比率が高いので、関連事業を通じた経営効率化の誘因が存在する。ところが、JR各社については、国鉄時代の制約から、関連事業収入の比率は小さい。JR東日本については関連事業からの収益は4%以下に過ぎず、JR東海については1%にも満たない。余剰人員の吸収のためもあって、各社とも関連事業への進出には熱心であるが、未だに大きな収益源にはなっていない。したがって、当分の間は、鉄道事業の経営合理化インセンティブを関連事業収益を通じて確保することは不可能である。
既に述べたように、分割民営化の後、JR各社が合理化に成功した大きな理由は、今までは運賃改訂の必要がなかったことである。ところが、二、三年後には運賃改訂が現実の問題になって来ざるを得ない。そうすると、現行の規制方式のもとでは、費用を削減してもその分だけ運賃の上昇が抑制されることになるので、経営合理化の誘因がなくなってしまう。
経営努力のインセンティブをなるべく阻害しない規制方式として以下のような枠組みを提案したい。
都市間幹線鉄道の料金規制の撤廃
まず、都市間幹線鉄道については、近距離から中距離では高速道路との競争、中距離から遠距離では航空との競争が存在するので、鉄道の独占力は大きくない。運賃規制を行うのは地域独占に対する対策としてであり、独占力の小さい都市間幹線鉄道について規制を行う必要はそもそも存在しない。それよりは、航空、長距離バス、鉄道の3者が相互に有効な競争を行えるように、これら3者に対する規制を撤廃することが、最も望ましい政策である。
現状では、航空についても長距離バスについても、厳しい参入規制と価格規制がかけられており、競争原理が有効に働いていない。国際的に見て、わが国の都市間旅客輸送は非常に運賃が高いが、それは運賃規制が甘いからではなく、規制によって自由な競争が行えなくなっているからである。
都市間鉄道については運賃規制を撤廃するのが望ましいが、都市間鉄道は都市内鉄道とネットワークとして繋がっているので、それだけを分離するのは困難である。実務上は、特急料金や新幹線料金のうちで都市間のものを自由化するというアプローチが望ましいであろう。
特急料金やグリーン料金の自由化を正当化する議論として最近よく目にするのは、「事業者の判断で付加するサービスに対する対価である特急料金やグリーン料金などについての規制は撤廃すべきだ」というものである。この議論は、競争が機能する分野については価格規制を撤廃すべきであるという私の議論(規制の経済理論におけるスタンダードな議論であるが)とは、似て非なるものである。独占的な分野で付加的なサービスについての自由な価格付けを認めると、ほとんどの車両がグリーン車になってしまうといった類のことが起きかねない。価格規制を撤廃するかどうかは、あくまでも競争が機能するかどうかによらなければならない。
価格規制だけでなく、列車の運行スケジュールについても規制を撤廃しなければならない。運行スケジュールの規制は、他の交通機関との競争条件の変化や各種のイベントに対する柔軟な対応を不可能にするし、特別運行列車などのキャンペーンを打って需要開拓をする意欲を削ぐからである。現状では、プロ野球のゲームが終わったときに走らせる臨時列車についてさえも事前届出が必要であり、煩雑な書類を一々提出している。このような不合理な規制さえ撤廃できないでいるのは、官僚機構の硬直性による「規制の失敗」の典型例である。
大都市圏の通勤路線に対するプライス・キャップ規制の導入
東京などの大都市圏の通勤鉄道については、代替的な交通機関が存在しないので、大阪圏の一部のように複数の鉄道路線が平行して走っている場合を除いては、地域独占に近い状態になっている。したがって、この部分については、運賃規制が必要であろう。
しかし、(1)通勤ライナーなどのような多様なサービスの提供を阻害しないこと、(2)混雑緩和投資のインセンティブを阻害しないこと、及び(3)経営効率化の誘因を確保することが必要である。これらの条件を考えると、英国がブリティッシュ・テレコムを民営化した際に採用し、その後アメリカも電気通信産業の規制に適用し始めているプライス・キャップ規制の導入が望ましい。
プライス・キャップ制では、技術進歩や経営努力による生産性向上について、ある努力目標Xを定め、物価上昇率マイナスXの範囲内ならば、企業が自主的に価格を定めてよいとする。例えば、ブリティッシュ・テレコムの例では、生産性上昇の努力目標Xは当初3%であり、物価上昇率マイナス3%の範囲内であれば、価格を自由に上げることが許されていた。
通信事業と異なり、鉄道事業においては、技術進歩による生産性向上の余地は大きくないと思われる。しかし、JR各社については国鉄時代から引き継いだ余剰人員が未だに残存しているので、今後もある程度の生産性向上は見込めるであろう。暫くの間は、物価上昇率マイナス1%程度の運賃上昇率でやっていけるのではないかと思われる。
プライスキャップ制でも、企業の利潤があまりに大きくなったり、逆に大きな損失が発生したりすると、レートベース方式と同様に適正原価と適正利潤の計算が行われ、それをもとに努力目標Xの修正が行われる。したがって、実際上は現行のレートベース方式とそう大きく変わる訳ではない。物価上昇率マイナスX%の価格上昇を自動的に認めることによって、運賃改定申請の頻度を小さくするというのが最も大きな効果になる。
次回の運賃改定申請までの期間が短かければ短いほど、経営効率化のインセンティブが阻害される。運賃が改定される時点までは費用を削減すると利潤が増加するが、運賃改定時には費用削減分だけ運賃が抑えられてしまうからである。
首都圏の大手私鉄の多くは巨額の輸送力増強投資を行っているので、これからは2、3年おきに運賃改定を余儀なくされるのではないかと思われる。このような状況では、運賃規制の弊害は非常に大きくなる。ところが、プライス・キャップ規制によって、運賃改定(正確には、努力目標Xの変更)の申請が5年ごとでよくなれば、費用削減努力は5年間にわたる利潤の増加をもたらすことになり、かなりの経営効率化インセンティブが発生する。
プライス・キャップ制のもう一つの特徴は、個別のサービスの価格を別々に規制するのではなく、それらの加重平均にたいして上限を設けることである。例えば、座って通勤できる通勤ライナーと通常の電車との二つのタイプのサービスがあると、規制されるのはこれらの加重平均であり、個々の運賃ではない。これによって、運賃体系の決定に関する柔軟性が増し、多様なサービスを供給するインセンティブが増加する事になる。
情報公開
以上で提案した、(1)長距離特急・新幹線料金の自由化と(2)都市内鉄道へのプライス・キャップ制の適用は、規制当局及び国民一般が把握することができる経営情報の量と質を低下させる恐れがある。したがって、これらの制度改革の際には、現状の企業会計基準よりも詳細な情報ディスクロージャーが必要である。特に、規制の必要性が高い首都圏の収支とそれ以外の路線の収支とを分離するために、路線別収支の情報が必要である。また、鉄道部門の収支を兼業部門の収支から分離した会計情報を毎年度公開することも必要である。
わが国の規制では、規制の大枠についての情報は公開されているが、規制価格の計算方式の詳細やベースとなる費用情報については公開されていない部分が多い。特に運輸省の規制については、省令に書かれていない部分が非常に多く、規制の不透明性を生んでいる。この不透明性が、規制官庁と被規制企業との癒着や、天下りなどの規制官庁による利権の追求をもたらす原因になっている。規制官庁による規制権限の行使についても、徹底した情報公開を求めなければならない。