国内版WTOのすすめ

 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 金本良嗣

 アダム・スミスの時代から経済学者の大勢は自由貿易主義を提唱してきた.自由貿易主義の正当化にはいくつかの段階がある.

 第一に,古典的な貿易モデルでは,自由貿易はすべての国に便益をもたらす.この古典的な理論モデルを用いる議論に対しては,それが現実的でないという批判がなされた.経済学者の世界でも,古典的な貿易モデルに対する批判として,最近は「新貿易理論」が地歩を固めつつある.

 しかし,ポール・クルグマンを筆頭にする「新貿易理論」の旗手たちも,依然として自由貿易主義を信奉している.

 その理由は二つある.第一に,適切な保護政策によって自国の所得水準を上げることができるとしても,何が適切な保護政策であるのかを知ることは困難である.例えば,建設産業を保護すべきか,コンピュータ産業を保護すべきかの選択は,実は非常に難しい.

 第二に,たとえ自国にとって望ましい保護政策が分かったとしても,他の国が同様な保護政策を採用すると,保護政策の効果がないだけでなく,両国ともに不利益を被ることになる.保護貿易主義の一番の問題は,自国の保護主義が他国の保護主義を生み,全体としてひどい状況になることである.

 以上のような理由から,経済学者の間では自由貿易主義が支配的であり続けている.現実の世界政治の場においても,保護主義の根強い政治的圧力にもかかわらず,GATTとそれが発展したWTO(世界貿易機関)を中心として,自由貿易が着実に推進されている.この動きがWTO政府調達協定によって公共建設工事にも及んでいることは周知の通りである.

 このような世界規模での自由貿易主義は,ほぼそのまま,国内での地域間の問題に応用できる.その典型は,公共工事における地元建設業者保護の問題である.

 第一に,自地域にとっても,全住民を考えれば,地元業者保護政策は望ましくないことが多い.公共工事の費用負担を行う納税者にとっては,保護を撤廃して,より競争的な市場にするのが望ましい.地元業者の利益が減少するが,納税者の利益の方が地元業者の不利益より大きいことが多いからである.

 第二に,たとえ,納税者の利益が地元業者の不利益より小さい場合でも,他地域も保護政策を採用すると,国全体として甚だしい不利益を被る.すべての地域が保護政策を撤廃すれば,全体としてはるかに良い状態になる.

 問題は,一地域だけが保護を撤廃することは,その地域の利益にならないかもしれないことである.このようなケースには,WTOのような組織が有益な役割を果たしうる.ドイツでは,入札参加者の地域限定を行うことが連邦政府によって禁止されていると聞いている.他の欧米諸国でも日本のように露骨な地元業者保護は行われていない.国内版WTOが必要なゆえんである.