『日本の建設産業−知られざる巨大業界の謎を解く』
金本良嗣編,日本経済新聞社刊,1999年7月,296頁,定価1600円+税
三輪芳朗 東京大学 大学院経済学研究科 教授 2章、5章、コラム
西口敏宏 一橋大学 イノベーション研究センター 教授 3章
松村敏弘 東京大学 社会科学研究所 助教授 3章
泉田成美 東北大学 大学院経済学研究科 助教授 3章
城所幸弘 東京大学 空間情報科学研究センター 助教授 4章
中馬宏之 一橋大学 イノベーション研究センター 教授 6章
渡邊法美 高知工科大学 助教授(アジア工科大学 派遣) 7章
國島正彦 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授(工学系研究科 教授 兼担) 8章、コラム
菊岡倶也 建設文化研究所 主宰 コラム
はしがき
建設産業は巨大な産業である。建設投資は日本の国民総生産の二割近くを占めている。世界的にも、日本の建設投資額は飛び抜けて大きい。日本の約二倍の人口をもつアメリカでさえ,建設投資額は日本より小さい。
このように巨大な産業であるので、たいていの人にとって近くに関係者がいるはずである。しかも、建設産業の「生産物」は、建物、道路、橋、トンネルなど、身近に見ているものが多い。ところが、建設産業の中がどうなっているのかについては、意外なほど知られていない。一般の人には謎の部分が多いとさえ見えるようである。
また、建設産業にはなにかと悪いイメージがつきまとっている。金丸事件以降の贈収賄スキャンダル、埼玉土曜会事件などの談合疑惑、舗装業界の「上請け・丸投げ」問題などがマスコミをにぎわした。これらの問題については、改革案が議論され、いくつかの改革がすでに実施されている。しかし、問題の本質が本当に理解されているのか、改革の実効があがっているのかについては疑問がある。
本書の第一の課題は、建設産業について一般の人々が抱いている様々な疑問をとりあげ、それらについての謎解きを行うことである。本書で取り上げる数多くの「謎」の例としては以下のようなものがある。
@実際に工事を行っている職人はゼネコンの従業員ではないようである。では、ゼネコンの従業員の役割は何なのだろうか。(第一章、第三章)
A建設業界の人々は自分たちの業界が特殊であると考えているようであるが、本当にそうなのだろうか。そうだとすれば、何が特殊なのか。(第二章)
B日本の公共発注について、様々なスキャンダルが発生した。日本の仕組みは欧米諸国とは違うのだろうか。日本の仕組みに問題があるとするとそれは何なのだろうか。(第四章)
C最近、「上請け」「丸投げ」という言葉がマスコミでも取り上げられる。この問題の本質は何なのだろうか。誰が悪いのだろうか。(第五章)
D建設業は3K業種で、現場労働者の賃金は仕事がきつい割に安いといわれる。また、建設業の雇用形態は前近代的であるといわれる。しかし、バブルの時代には賃金が高騰したし、現在でも、ひどい労働不足の状態にはなっていない。また、前近代的で非合理な雇用システムが長期間に渡って続くとは考えられない。果たして、これらの通念は正しいのだろうか。(第六章)
E日本の公共工事は諸外国に比較してコスト高なのだろうか。そうならば、何が問題なのか。公共工事のコストを下げようとすると、品質に問題は発生しないのか。(第七章)
F日本の建設技術は世界一流といえるのか。独創的な技術は存在するのか。技術開発の阻害となっている制度があるのではないか。(第八章)
本書の第二の課題は、経済学や経営学の分野で常識となっている考え方を建設産業に適用するとどうなるかを解説することである。たとえば、
@赤字覚悟のダンピング受注はなぜ発生するのか、ダンピング防止のための談合は正当化できるか、
A公共工事になぜ談合が多いのか、談合は悪いことなのか、
B公共工事の入札契約制度はなぜ民間と違うのか、どういう制度が望ましいのか、
C地域要件のような日本で一般的な地元中小企業保護政策は欧米諸国では許されていないことが多い、それはなぜか、
D建設業の「下請け関係」に政府の介入を必要とするような歪みはあるか、
E建設業の複雑な雇用形態に合理性はあるのか、
といった問題を取り上げ、これらの問題に関するスタンダードな考え方を解説する。
本書は、著者達がメンバーとなっている「建設産業研究会」によって企画された。この研究会は、経済学、経営学、土木工学(社会基盤工学)の研究者を主体に、建設業行政の担当者とゼネコンの実務家が加わって発足した。一九九五年六月にスタートして以来、ほぼ月一回のペースで業界関係者からのヒヤリングを行い、和やかながらも白熱した議論を積み重ねてきた。
この研究会が発足した当時は、経済学や経営学の専門家にとっては、建設産業は遠い存在であった。分析のメスが入れられていない暗黒大陸であったといってよい。建設産業が直面する多くの課題に対して明確な処方箋が出されていない一つの理由は、この産業を研究対象とする研究者がほとんどいないことにあった。この状況が目立って改善されたとはいいにくい状況であるが、少なくとも、研究会メンバーの間ではかなりの前進が見られた。本書は、これまでの成果の中間的なとりまとめでもある。もとより、資源の制約から、残された課題は多い。本書が、建設産業に関する本格的な研究の呼び水となることを期待している。
今、建設産業は大きな節目に立っている。八〇年代バブル期に抱えた不良資産を処理しながら、これからの建設需要の減少に備えなければならない。こういった時期に必要なのは、競争市場が健全に働くような制度環境を整備することであり、また、それを阻害するような誤った政策を実施しないことである。二一世紀の日本の建設産業の健全な発達のためは、何をしなければならないのか(あるいは、何をしてはならないのか)を考える際に、本書が参考になればというのが著者一同の願いである。
本書は予想外の難産であり、一九九六年に企画して以来、執筆及び改訂に三年を要した。この間に、お世話になった方々は多い。
すでに述べたように、本書は「建設産業研究会」でのヒヤリングや討論をベースにしており、この研究会の参加者及び講師の方々からは、貴重な知識、アイデア、ご批判を頂いた。また、一九九七年一二月に、研究会参加者を中心に、外部の方々を交えて開催したミニ・コンファレンスにおいても、貴重なご批判、ご意見を頂いた。深く感謝する次第である。
鹿島学術振興財団及び東京経済研究センターから研究費の援助を頂いたことにも感謝したい。これらの援助がなければ、研究会の継続と本書の刊行は困難であったであろう。
最後に、辛抱強く執筆・改訂のプロセスにつきあっていただき、難解になりがちな本書を読みやすくするためにお骨折りいただいた日本経済新聞社の増山修氏と、研究会の運営及び本書の編集のプロセスで発生した様々な事務を手際よく処理して頂いた茂木由起さんと眞崎美和子さんに感謝したい。